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ヴェネツィアの祭り―― ペストをのりこえて

堤 康徳

ヴェネツィアの祭りといえば、誰もがまず、毎年2月に開かれるカーニヴァルを思い浮かべるだろう。今や世界中から観光客が集まり、仮面をつけ、さまざまな衣装に身を包み、迷路のようなヴェネツィアの隘路を練り歩く。しかし今年は、新型コロナウイルスの感染拡大によって、開催途中で祭典は中止された。

左がサン・ジョルジョ・マッジョーレ島、右がジュデッカ島
左がサン・ジョルジョ・マッジョーレ島、右がジュデッカ島

ヴェネツィア市民にとって、もうひとつとても大切な祭りがある。それが、毎年7月の第3日曜日に行われるレデントーレの祭りである。1575年から1577年にかけてヴェネツィアを襲ったぺストの収束を祝うために始まった。このときのペストは、ヴェネツィア市民3分の1の命を奪ったとされる。ヴェネツィア元老院は、ペストから町を救ったキリストに感謝するために、ジュデッカ島にレデントーレ聖堂(Redentoreとは、あがない主、キリストのこと)を建てることを決めた。建築を任されたのが、ヴィチェンツァやヴェネツィアに数多くの傑作を遺したアンドレーア・パッラーディオである。四柱式の古代神殿を思わせる美しい教会正面は、対岸のザッテレ河岸からも鑑賞できる。ザッテレからジュデッカ島までは、ジュデッカ運河をはさんで300mあまりの距離がある。祭りのさいは、仮設の橋がかけられ、この橋を渡って多くの信者が教会を訪れる。祭りのメインイベントは、日曜夜に打ち上げられる花火だが、今年はやはり中止になってしまった。

ゴンドラに乗る留学中の上智大生。背景はサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
ゴンドラに乗る留学中の上智大生。背景はサンタ・マリアデッラルーテ聖堂

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂

1630年から翌年にかけて、またもやヴェネツィアにペストが襲来し、前回と同じくおよそ人口の3分の1が犠牲になった。1630年10月、ヴェネツィア総大司教は、聖母マリアに奉献される新しい教会の建設を誓った。これが、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂である(Saluteとは救済、健康の意)。設計を担ったのは、ヴェネツィアの建築家バルダッサーレ・ロンゲーナ。大きなクーポラ(丸屋根)が特徴的な教会は、町の中心サン・マルコ広場に近い。ヴェネツィアでは、これを最後に、ペストの流行は確認されていない。サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂は、インスタ映えすると評判の観光スポットのひとつ。だが毎年11月21日の聖母マリアの祝日には、大運河にかけられる仮設の橋を渡って市民が集い、教会は敬虔な祈りの場となる。

およそ半世紀のあいだにヴェネツィアは2度もペストに襲われた。そして、それぞれの災厄にちなむ教会がふたつ建てられたのだった。様式こそルネサンスからバロックへと移行したが、どちらもヴェネツィアを代表する教会建築として名高い。

来年は、ヴェネツィアの祭りが例年どおり開かれることを心から望む。しかし、水の都のあの日常的な過密状態には戻ってほしくない。

ヴェネチアの広場、井戸の上でくつろぐ猫
ヴェネチアの広場、井戸の上でくつろぐ猫

新たなパンデミックが猛威を振るう現在、二酸化炭素の排出量が減り、世界の大都市の多くが青空を取り戻したという。外出禁止令が出され、ふだんは観光客でごったがえすヴェネツィアからいっさいの人影が消え、いつもはよどんだ運河に、クラゲなどの生物が姿を現したというニュースも伝えられた。思いがけず手に入れた澄んだ空気と水を、感染終息後も、なんとか維持する方法はないものだろうか。

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