教員ブログProfessor's blog
LLC特別企画講演会「翻訳者、最も読むのが遅い読者―文学作品の翻訳について―」(講師:堤康徳准教授)が開催されました。
2023年12月15日、言語教育研究センターLLC特別企画講演会「翻訳者、最も読むのが遅い読者―文学作品の翻訳について―」が上智大学にて開催されました。講師はイタリア文学研究者で、ウンベルト・エーコ著『バウドリーノ』やイタロ・ズヴェーヴォ著『ゼーノの意識』などの翻訳家でもある、堤康徳氏(本センターイタリア語教育担当)が務めました。
冒頭で、旧約聖書創世記第11章「バベルの塔」の物語が示されました。一つの言語を話す民による巨大な塔の建設を神は危ぶみ、彼らの言語を混乱(バラル)させ、互いの言葉を聞き分けられないようにしたという有名なエピソードが紹介されました。16世紀のブリューゲルの絵画に描かれたバベルの塔が、現代の日本の建築物と比較してどれほどのスケールで描かれているかといった話題もまじえながら、複数の言語と翻訳の間の宿命的な関係について、問いかけがなされました。
San Girolamo scrivente(書斎の聖ヒエロニムス)/Caravaggio, 1605-06
また、歴史に残る偉業として、「翻訳の父」「翻訳者の守護聖人」と呼ばれるダルマチア生まれの教会博士ヒエロニムス(San Girolamo)が4~5世紀にギリシア語・ヘブライ語から訳したラテン語聖書を世に出し、後のキリスト教の普及に貢献したことが紹介されました(命日の9月30日は、現在「世界翻訳の日」)。
翻訳の根源的な難しさについて、文学作品の文体、哲学書の多義性、ソネットなど韻文の形式や韻律をあげ、翻訳の究極的な困難と可能性が示されました。
続いて堤氏は、翻訳とはどのような行為かについて、自身が翻訳したいくつかの作品を例に語りました。ウンベルト・エーコが中世を舞台に書いた超長編冒険小説『バウドリーノ』の翻訳は、読みながら訳すという方法をとり、そこに費やした3年余りの歳月は苦渋の日々であったものの、一読者として物語の展開に楽しみを見出すことで出版にこぎつけました。
堤氏は「翻訳者は回り道をしながら最も深く原著を読む読者であることが必要」と述べ、時代背景を知るべく歴史書を読んだり、解説書や研究書を読んだり、作品の舞台となった実在の都市の地図を眺めたりと考証に時間をかけ、既訳がある場合は英仏語など他言語への翻訳版にも目を通すといいます。
読者にわかりやすく伝えるための日本語表現の工夫も重要で、次のようなイタリア語の関係節の例では、「彼がやってきた王国」と直訳してしまうと「王国へ行った」のか「王国から来た」のかがわからなくなるため、「彼が旅立った王国」や「彼が後にした王国」と翻訳するべきであることなどが解説されました。
原文:Il principe aveva dato udienza a Sindbad, chiedendogli molte notizie sul regno da cui veniva. (Baudolino, cap. 12)
日本語訳:王子はシンドバッドに接見し、彼が旅立った(直訳:彼がやって来た)王国について多くのことを聞いた。
そして、じっくりと時間をかけた読解・翻訳を経て初めて「原著は真の姿を現してくる」、「母語である日本語に翻訳することで原文の意味が明確になることもある」との実感が語られました。
堤氏は最後に、イタロ・ズヴェーヴォがトリエステを舞台にゼーノ一家を描いた100年前の心理小説『ゼーノの意識』の翻訳にふれ、「難しい翻訳であったが、彼らと時間と場所を共有することのない読者も、翻訳を通してその生と苦しみに共感し、普遍的な人間の滑稽さや愚かさと出会うことができる。そういった時空の旅の喜びを、読者が外国語を学ばずとも共有できることが、訳者の最大の喜びである」と講演を締めくくりました。
質疑応答では、翻訳において何を軸としているかという質問に対し、堤氏は「原著への忠実性」をあげたうえで、「絶対的な従属性の中に身を置きながらの自由さ」の中で、わかりやすさを心がけていると述べました。
終了後、参加した学生の質問に答える堤氏
文責:永澤済(言語教育研究センター准教授(広報委員)/日本語教育担当)
堤康徳氏による翻訳書より
以下にあげたもののうちの多くが、上智大学図書館で閲覧できます。
『ゼーノの意識』(上下巻)イタロ・ズヴェーヴォ[著]、堤康徳[訳](岩波書店、2021年)
[内容]トリエステに住むゼーノとその一家の物語。「人生はむずかしくはないが、とても不条理だ」。あれこれと思いめぐらし、来し方を振り返るゼーノ。その当てどない意識の流れが、不可思議にも彼の人生を鮮やかに映し出す。
『バウドリーノ』(上下巻) ウンベルト・エーコ[著]、堤康徳[訳](岩波書店、2017年)
[内容]時は中世、十字軍の時代。神聖ローマ皇帝フリードリヒ・バルバロッサに気に入られて養子となった農民の子バウドリーノが語りだす数奇な生涯とは…。言語の才に恵まれ、語る嘘がことごとく真実となってしまうバウドリーノの、西洋と東洋をまたにかけた大冒険がはじまる。
『瀆神』ジョルジョ・アガンベン[著]、上村忠男/堤康徳[訳](月曜社、2014年)
[内容]資本主義という宗教の土台にある〈神聖を汚すことのできないもの〉を侵犯せよ。権力の諸装置を無力化し、それらが剝奪していた空間を人々の〈共通の使用〉へと返還せよ――来たるべき世代の政治的課題としての瀆神のありようを明かす重要書。
『裁判官と歴史家』カルロ・ギンズブルグ[著]、上村忠男 /堤康徳[訳](筑摩書房、2012年)
[内容]一九七〇年代、左翼闘争の中で起きた謎の殺人事件。冤罪とも騒がれるその裁判記録の分析に著者ギンズブルグが挑み、歴史家のとるべき態度と使命を鮮やかに示す。
『アントニオ・ネグリ講演集 上〈帝国〉とその彼方』アントニオ・ネグリ[著]、上村忠男/堤康徳/中村勝己[訳]
[内容]国民国家、市民権、社会主義、ユートピア……グローバル化が進む現代のさまざまな「運動」を横断し、ポスト社会主義の諸政策を展望する。
『アントニオ・ネグリ講演集 下〈帝国〉的ポスト近代の政治哲学』アントニオ・ネグリ[著]、上村忠男/堤康徳/中村勝己[訳]
[内容]スピノザ、フーコー、アガンベンらの思想を読込み、ポスト近代における政治哲学を語る。マルチチュードにおいて生政治はいかに実現されるのか。
『トリエステの謝肉祭』イタロ・ズヴェーヴォ[著]、堤康徳[訳](白水社、2002年)
[内容]美しい港町を舞台に四人の男女が織りなす愛の物語。プルースト、ジョイスの系譜につながる20世紀文学の巨匠が描く人間の心の闇と孤独。
(本書翻訳出版に対し、イタリア文化会館より「ピーコ・デッラ・ミランドラ賞」受賞)
『グレタ・ガルボの眼』マヌエル・プイグ[著]、堤康徳[訳](青土社、1996年)
[内容]ブエノスアイレスより愛をこめて。ラテンアメリカ文学界の頂点に立つ売れっ子作家プイグが、最晩年にイタリア語で執筆した、知られざる幻の小説。映画に触発された七つの愛の物語。
『黒い天使』アントニオ・タブッキ[著]、堤康徳[訳](青土社、1998年)
[内容]人間内部の意識の暗闇にひそむ《黒い天使》。その翼の羽ばたきが導くのは、絶望か、それとも生の希望か。イタリアとポルトガルの暴力にみちた現代史の暗部に対峙し、黒いリアリズムで塗りつぶされた、タブッキのもうひとつの小説世界。
『パルチザン日記 1943-1945―イタリア反ファシズムを生きた女性』アーダ・ゴベッティ[著]、堤康徳[訳]、戸田三三冬[監修・解説](平凡社、1995年)
[内容]第2次世界大戦末期の北イタリア、レジスタンスのさなかに綴られた友情と連帯の記録。レジスタンスから何を継承するのか。半世紀を経てイタリア社会がようやく本格的な内省期に入った今、必ずひき合いに出される作品。